山野浩一さん死去
作家で競馬評論家の山野浩一さんが今朝亡くなりました。77歳。つい先日までSNSで活発に発信されていたので、正直なところ信じられないといった気持ちです。
血統業界というものがあるとすれば、山野さんは半世紀にわたってその代表的な存在でした。わたしが血統にのめり込んだのは30年以上前、まだ高校生時代でしたが、書店で見つけて購入した『サラブレッド血統事典』(二見書房)を繰り返し読んだものです。無味乾燥な説明文ではなく、想像力を刺激する作家らしい文章で綴られていたのが魅力的でした。たとえばギャラントマンの項には「やわらかく美しい馬体と、手に負えない激しい気性を伝えている」と記されていました。その一文だけでギャラントマンのイメージが鮮やかに浮かび上がってきたものでした。いまから考えるとある種の文学作品として読んでいたような気もします。いちばん最初に買った巻は使い込みすぎてボロボロ、ページが落ちているのをテープで留めているという有様でした。
『優駿』に連載された「血統理念のルネッサンス――レットゲン牧場における系統繁殖の研究」はコピーをして熱心に読み込みました。ドイツ血統とその馬産を論じたこの作品の先進性は、その後、世界の血統シーンのなかでドイツ血統の存在感が飛躍的に高まったことでも明らかです。1986年4月号に連載の第1回が掲載されたのですが、冒頭の一節から魅了されました。
「ドイツの名門レットゲン牧場のシュターアピールが凱旋門賞に勝ったのは15年ほど昔だが、およそその頃からドイツのサラブレッド生産に強く傾倒していった一群の馬産家たちがある。プリンス・アガ・カーン殿下、ホワード・ド・ワルデン卿、ダニエル・ウィルデンシュタイン氏といった著名なオーナーブリーダーたちであるが、仮にそれらの人々をドイツ派と呼ぶことにしよう。彼らドイツ派たちは閉鎖的なドイツ馬産界に積極的に入り込み、機会があればドイツ血統を買い入れ、ドイツの生産方式を導入して独自のサラブレッド生産を追求していった」
1990年に馬事文化賞を受賞された『サラブレッドの誕生』(朝日選書)の先駆をなしたような作品で、こちらは血統や配合について、より突っ込んだ思考が展開されています。
「アウトブリードの重要性は決して近親交配の弊害をなくすためではなく、そうした新しい活力の喚起にほかならない。近親交配にマイナスの要素があるのではなく、プラスの面に限界があると考えればよいと思う。近親交配の弊害という考え方はこのようなアウトブリードの重要性を経験的に知ったものの、その説明が困難だった時代に生み出された迷信であろう」
こうした山野さんの血統に対する基本的なスタンスについて触れることができます。
個人的なことを記せば、大学在学中の1989年、血統専門誌『週刊競馬通信』を発行する競馬通信社で働きはじめ、血統業界の末端に連なることになりました。1991年秋、同社が版元となり、わたし自身も制作に関わった『クラシック馬の追求』(ケン・マクリーン著・山本一生訳)が出版され、それを祝すパーティーが新橋の新橋亭で開かれました。競馬界のお歴々が顔をそろえるなかに山野浩一さんの姿もありました。
「血統理念のルネッサンス」を読むうちに、外部の種牡馬を配合する場合はできるだけヘリタビリティの弱い血統を選ぶ、という系統繁殖の方法は、一方で活力の低下を招くのではないか、との疑問が頭をもたげてきたので、思い切って山野さんに直接聞いてみることにしました。突然現れた見ず知らずの若者からパーティーの雰囲気にそぐわないドイツ血統の質問をぶつけられた山野さんは、内心苦笑していたかもしれません。しかし、少しも面倒がることなく、テレビで見るのと同じ口調で、「うん、たしかにそうですね。でも――」と、懇切丁寧に答えてくださいました。
山野さんの本を読まなければ血統の道に進むことはなかったでしょう。感謝の言葉しかありません。合掌。
血統業界というものがあるとすれば、山野さんは半世紀にわたってその代表的な存在でした。わたしが血統にのめり込んだのは30年以上前、まだ高校生時代でしたが、書店で見つけて購入した『サラブレッド血統事典』(二見書房)を繰り返し読んだものです。無味乾燥な説明文ではなく、想像力を刺激する作家らしい文章で綴られていたのが魅力的でした。たとえばギャラントマンの項には「やわらかく美しい馬体と、手に負えない激しい気性を伝えている」と記されていました。その一文だけでギャラントマンのイメージが鮮やかに浮かび上がってきたものでした。いまから考えるとある種の文学作品として読んでいたような気もします。いちばん最初に買った巻は使い込みすぎてボロボロ、ページが落ちているのをテープで留めているという有様でした。
『優駿』に連載された「血統理念のルネッサンス――レットゲン牧場における系統繁殖の研究」はコピーをして熱心に読み込みました。ドイツ血統とその馬産を論じたこの作品の先進性は、その後、世界の血統シーンのなかでドイツ血統の存在感が飛躍的に高まったことでも明らかです。1986年4月号に連載の第1回が掲載されたのですが、冒頭の一節から魅了されました。
「ドイツの名門レットゲン牧場のシュターアピールが凱旋門賞に勝ったのは15年ほど昔だが、およそその頃からドイツのサラブレッド生産に強く傾倒していった一群の馬産家たちがある。プリンス・アガ・カーン殿下、ホワード・ド・ワルデン卿、ダニエル・ウィルデンシュタイン氏といった著名なオーナーブリーダーたちであるが、仮にそれらの人々をドイツ派と呼ぶことにしよう。彼らドイツ派たちは閉鎖的なドイツ馬産界に積極的に入り込み、機会があればドイツ血統を買い入れ、ドイツの生産方式を導入して独自のサラブレッド生産を追求していった」
1990年に馬事文化賞を受賞された『サラブレッドの誕生』(朝日選書)の先駆をなしたような作品で、こちらは血統や配合について、より突っ込んだ思考が展開されています。
「アウトブリードの重要性は決して近親交配の弊害をなくすためではなく、そうした新しい活力の喚起にほかならない。近親交配にマイナスの要素があるのではなく、プラスの面に限界があると考えればよいと思う。近親交配の弊害という考え方はこのようなアウトブリードの重要性を経験的に知ったものの、その説明が困難だった時代に生み出された迷信であろう」
こうした山野さんの血統に対する基本的なスタンスについて触れることができます。
個人的なことを記せば、大学在学中の1989年、血統専門誌『週刊競馬通信』を発行する競馬通信社で働きはじめ、血統業界の末端に連なることになりました。1991年秋、同社が版元となり、わたし自身も制作に関わった『クラシック馬の追求』(ケン・マクリーン著・山本一生訳)が出版され、それを祝すパーティーが新橋の新橋亭で開かれました。競馬界のお歴々が顔をそろえるなかに山野浩一さんの姿もありました。
「血統理念のルネッサンス」を読むうちに、外部の種牡馬を配合する場合はできるだけヘリタビリティの弱い血統を選ぶ、という系統繁殖の方法は、一方で活力の低下を招くのではないか、との疑問が頭をもたげてきたので、思い切って山野さんに直接聞いてみることにしました。突然現れた見ず知らずの若者からパーティーの雰囲気にそぐわないドイツ血統の質問をぶつけられた山野さんは、内心苦笑していたかもしれません。しかし、少しも面倒がることなく、テレビで見るのと同じ口調で、「うん、たしかにそうですね。でも――」と、懇切丁寧に答えてくださいました。
山野さんの本を読まなければ血統の道に進むことはなかったでしょう。感謝の言葉しかありません。合掌。
- 2017.07.20 Thursday
- 雑談
- 16:56
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- by 栗山求